もまれ、もまれて、ぼろが出て(3/10-3/21)

 いつもは週一程度の更新だったけど今週は完全に忘れていて今日という日に更新することになりました。

 

相変わらずバイトとインターンに明け暮れている日々です。

 

しかしながら今週はそのどちらともでしっかりと「ご指導」を頂いて深く反省した一週間でした。

 

 バイト…繁忙期を迎えているのに何度も同じ質問したり手際が悪かったりでご指導。

 

 半年ほど前から某自転車屋さんでバイトをさせてもらっているのですがこの入学シーズンはとても忙しく、常に店内パンパンだったりしてます。

 

そんな中、過去2回くらいしかしたことのないパターンの販売を担当していた時に不安がって何回も社員さんに確認したり、お客さんに内容確認したりを繰り返してました。

 

販売自体は無事に乗り越えることができたものの、社員さんから

 

「なんでそんな質問するん?」

 

と一言。

 

「販売業務してるんやからしっかり覚えてや。」とご指導いただきました。

 

そりゃそうですよね。お客様を前に店員がおどおどしているときほどストレスを与えるものはないし、繁忙期そんな手間と時間をかけさせるわけにはいかない。

 

前までは言われたことをメモして残しておくのをしていたのですが今回の一件でもはやそれでも覚えられないとわかりました。

 

ですので、家に帰って接客対応の仕方をノートにまとめてわからないことはこれが最後と思って聞くことにしました。

 

正直な話をすると「家にまでバイトのことを持ち出したくない」と思ってバイトのことは、基本タイムカードさした後から考えようとしてました。

 

社会を甘く見すぎていたな。ってのが今の正直な気持ちです。「たかがバイトでどうしてそんな気負う?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それでも私にとっては「されどバイト」なので、ここで社会経験させてもらってるので、販売の順番や話し方、態度を一度見直します。

 

そして、「そこにいるのがふさわしい人間」になれるように努めます。

 

 

インターン…最大の悪癖「態度、言葉遣い」が出てきてしまう。

 

大学に入ってから二回目となるこの「言葉遣いシリーズ」前の反省はどこへやら、今回もやらかしてしまいました。

うーん、一回目は過度な煽りだったので今回のとは少しベクトルが違うか…

 

今回のトラブルはちょっと説明しにくい(したくない)のでエピソードについては割愛させていただきます。

 

そう、まあ、何が原因だったかというと「立場をわきまえない発言」だったんです。

 

この発言・態度・行動シリーズ、実は僕の人生最大の悪癖で小学生のころから一つずつ指摘されているんですけどまだ完全に直せていないんです。

 

以下その日に書いた反省文

 

9年の間「言葉遣い」「態度」に関してはずっと怒られてます。小学生の頃は八つ当たりしまくってたし中学生の頃は返事が嫌味っぽく聞こえ、竹刀を投げられたし高校では自分のこだわりと先生の指導が合わなかったので不満げな態度をとってました
八つ当たりはなくなり返事はそれなりに(人からは分からないが)ハキハキとするようになり不満げな態度もある程度はなくなってるのですが「言動」についてはまだまだなおってなく今回ご指導をいただきました。
相変わらず後手の対応になりますがここで言動の悪癖もなおそうと思います。

 

なんというか、自分って身長だけ伸びた中学生なんだろなー。と感じています

 

でも、「今言ってもらってよかった」とすごく思います。このまま何も言われずに社会に出てたらきっと取り返しのつかないことになっていたんだろうし、数年後にはじめて同じことを言われたら反省するのかもわからなかったので。

 

今週この二つが立て続けに起こったことは自分にとってはありがたいことです。

 

残りのインターンも繁忙期がしばらく続くバイトも乗り切れるよう頑張ります。

 

お読みになっていただきありがとうございました。

 

 

 

 

p.s. 一週間ごとに書く日記って何かいい漢字で表せないですかね「週記」??

 

 

↓過去の振り返り 

tsukubaboyaki.hatenablog.com

 

 

tsukubaboyaki.hatenablog.com

 

もまれ、もまれてぼろが出て(3/10-3/21)

 いつもは週一程度の更新だったけど今週は完全に忘れていて今日という日に更新することになりました。

 

相変わらずバイトとインターンに明け暮れている日々です。

 

しかしながら今週はそのどちらともでしっかりと「ご指導」を頂いて深く反省した一週間でした。

 

 バイト…繁忙期を迎えているのに何度も同じ質問したり手際が悪かったりでご指導。

 

 半年ほど前から某自転車屋さんでバイトをさせてもらっているのですがこの入学シーズンはとても忙しく、常に店内パンパンだったりしてます。

 

そんな中、過去2回くらいしかしたことのないパターンの販売を担当していた時に不安がって何回も社員さんに確認したり、お客さんに内容確認したりを繰り返してました。

 

販売自体は無事に乗り越えることができたものの、社員さんから

 

「なんでそんな質問するん?」

 

と一言。

 

「販売業務してるんやからしっかり覚えてや。」とご指導いただきました。

 

そりゃそうですよね。お客様を前に店員がおどおどしているときほどストレスを与えるものはないし、繁忙期そんな手間と時間をかけさせるわけにはいかない。

 

前までは言われたことをメモして残しておくのをしていたのですが今回の一件でもはやそれでも覚えられないとわかりました。

 

ですので、家に帰って接客対応の仕方をノートにまとめてわからないことはこれが最後と思って聞くことにしました。

 

正直な話をすると「家にまでバイトのことを持ち出したくない」と思ってバイトのことは、基本タイムカードさした後から考えようとしてました。

 

社会を甘く見すぎていたな。ってのが今の正直な気持ちです。「たかがバイトでどうしてそんな気負う?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それでも私にとっては「されどバイト」なので、ここで社会経験させてもらってるので、販売の順番や話し方、態度を一度見直します。

 

そして、「そこにいるのがふさわしい人間」になれるように努めます。

 

 

インターン…最大の悪癖「態度、言葉遣い」が出てきてしまう。

 

大学に入ってから二回目となるこの「言葉遣いシリーズ」前の反省はどこへやら、今回もやらかしてしまいました。

うーん、一回目は過度な煽りだったので今回のとは少しベクトルが違うか…

 

今回のトラブルはちょっと説明しにくい(したくない)のでエピソードについては割愛させていただきます。

 

そう、まあ、何が原因だったかというと「立場をわきまえない発言」だったんです。

 

この発言・態度・行動シリーズ、実は僕の人生最大の悪癖で小学生のころから一つずつ指摘されているんですけどまだ完全に直せていないんです。

 

以下その日に書いた反省文

 

9年の間「言葉遣い」「態度」に関してはずっと怒られてます。小学生の頃は八つ当たりしまくってたし中学生の頃は返事が嫌味っぽく聞こえ、竹刀を投げられたし高校では自分のこだわりと先生の指導が合わなかったので不満げな態度をとってました
八つ当たりはなくなり返事はそれなりに(人からは分からないが)ハキハキとするようになり不満げな態度もある程度はなくなってるのですが「言動」についてはまだまだなおってなく今回ご指導をいただきました。
相変わらず後手の対応になりますがここで言動の悪癖もなおそうと思います。

 

なんというか、自分って身長だけ伸びた中学生なんだろなー。と感じています

 

でも、「今言ってもらってよかった」とすごく思います。このまま何も言われずに社会に出てたらきっと取り返しのつかないことになっていたんだろうし、数年後にはじめて同じことを言われたら反省するのかもわからなかったので。

 

今週この二つが立て続けに起こったことは自分にとってはありがたいことです。

 

残りのインターンも繁忙期がしばらく続くバイトも乗り切れるよう頑張ります。

 

お読みになっていただきありがとうございました。

 

 

 

 

p.s. 一週間ごとに書く日記って何かいい漢字で表せないですかね「週記」??

 

 

↓過去の振り返り 

tsukubaboyaki.hatenablog.com

 

 

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振り返るとあんまりよくない一週間(3/2-3/9)

息つく間もなく一瞬で駆け抜けてしまったこの一週間。振り返ってみると、、

 

 

なんか良くない。

 

 

なんか良くなかった今週の振り返りは、ちょっとくらいお話が続くかもしれませんがなるべくコミカルに書こうと思います。

 

 

なんか良くないと思う理由① ベンチプレス100キロが成功しなかったから

 

皆さんは「趣味が筋トレの人たち」の生態をご存じだろうか。

彼らは毎日体重計に乗っては「今日体脂肪率少ないぜふぇぇぇぇぇええ!」「太ったな。(心にダメージを負う)」って一喜一憂したり

「は?、スクワット150キロ挙げれる俺様の前でそんなことを言うのか?踏むぞ??」みたいな思想をしたりするのですが (要出典) 彼らが私生活で一番気にしているものが

 

「数字」

 

です。もうここまで言ったら私が何で今週良くねえなって思うかおわかりでしょう。

(月末もっかいチャレンジしてやります)

 

 

なんか良くないと思う理由② 豚肉を初めて「おいしくねえ!」って思ったから

 

一人暮らし系限界筋トレ大好き大学生の私は毎日の食事に必ずといってもいいほど鶏むね肉を食べます。これはたんぱく質が多いのと単に肉の中で一番安いからです。

しかし先週、豚の方ブロック肉が脅威の30%引き。おなかをすかした状態でスーパーに出かけていた私はついついその豚を買ってしまいました。

そして「久しぶりの豚肉だぜ!テンション上がっておさまらん!」と意気揚々に豚にがっついたのですが、

 

 

「おいしくねえ!…って、え、なんで?」

 

リアルにこう思いました。

おそらく原因は豚の油のしつこさに口が対応できなかったことではないかと思います。

こんなことを言う年齢じゃないはずなのに…

 

 

 

なんか良くないと思う理由③ どうしようもできない電話がかかってきたから

 

(再現イメージです)

 

「お宅で紙書いたよねぇ!そこに乗ってるからはよ調べて電話かけてきてよ!」

「申し訳ありません、只今紙を探しております。みつk」

「は?わかったよ、いいから調べたら折り返し電話かけてきて!ガチャ、ツー、ツー」

「トゥルルル もしもしこちら○○、××店です。先ほどのお電話の件で…」

「あ、××店に電話かけてたの俺?間違えちったわ!なるほど、調べたのね。はーい。ツーツー」

 

 

 

 

おおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!

 

 

 

 

 

なんか良くないと思う理由④ この一週間で二回も筋肉量が落ちたから

 

皆さんは「趣味が筋トレの…(以下略)

 

 

 

と、まあこういうことがあったのでいまいちだった一週間でございました。

もちろんこんな出来事の裏にしっかりいいニュースも隠れてますよ?浪人してた友達が大学勝ち取ったーとか色々ね。

一年間彼の相談役してたけど人間的にめっちゃ成長してて驚いた。彼が良き大学生活を送れることを祈ります。

 

 

次のブログ更新は良いことでまとめられますように!

回顧録:忘れんぼの私でも記憶に残る思い出集②「小4で一度心が折れた話」

ちょっと春休み暇なのでこの「回顧録」シリーズを定期的に更新していこうと思います。

この回顧録シリーズは自分が今年自己分析している中で「この記憶はずっと残ってるな」「この経験が今も影響しているな」ってことを皆さんと共有したくて書いているシリーズです。

 

tsukubaboyaki.hatenablog.com

 ↑過去作 まだ見てない人はみてね

 

さて今回は、タイトルの通り「小4で心が折れた話」です。挫折とかではなく、単にある日あるときぽっきりと折れた話です。

 

自分の町では毎年秋に祭りがあって、小学四年当時自分の母は子供会長をしていて毎晩遅くまで祭りの計画を練っていました。(夜11時とかまで話し合ってた時もあります)

当の自分はというと夜八時くらいまで太鼓の練習をして一人で家に帰る日々が続いていました。

 

そんなある日、いつも通り太鼓の練習が終わって一人家に帰ったときのこと、ふと「淋しいな」と心のどこかで思った日がありました。その日は何とかこらえて一人静かにベッドに入りました。

日中は学校で特にそんな気持ちにならないまま遊んだり授業受けたりしているのに、夜太鼓の練習が終わって家に帰ってくると例の淋しさがまた戻ってくるのです。

日に日にその気持ちの強さは増していき心が折れる数日前には会議中の部屋に入ってしばらく一緒にいたりしていました。

 

そしてついに、家に帰ってきて一人で「とんねるずのみなさんのおかげでした」の「食わず嫌い王選手権」を見ているときに

 

ポロ

 

って感じに涙が出てきました。そして

 

プッツン

 

って感じに張っていた糸が切れてそのまましばらく涙が止まりませんでした。

「早く寝よう」と思いベッドに向かってもなかなか涙は収まらずその日は寝るのに苦労した覚えがあります。

 

次の日もその次の日も同じような時間になると涙が出てくるようになりました。心が折れている自覚があるのは三日後くらい、祭りの一週間ほど前でした。

 

それから心が安定しない日々が続いていましたが、祭りが終わると、自分のその淋しさは嘘のように晴れて泣くこともさびじいと思うこともなくなりました。ただ「あの時心が折れていたな」って記憶と「それを乗り越えてかさぶたがはられて強くなってるな」っていう二つの思いが今も心に残っています。

 

それからというもの、並大抵のことでは心が動じないようになりましたし、何より自分が一度乗り越えていることが自信となっています。

 

だからこそ、小学生というかなるべく若いうちに「心が折れる」ということを経験してほしいなと自分は思います。どんなに小さくても傷ついて、かさぶたができて、強くしていく。この繰り返しが心を強くしていくのじゃないかって思います!(折れっぱなしではダメなんですけど)

 

回顧録:忘れんぼの私でも記憶に残る思い出集①「小3ながらに感じる環境の差」

たまたま機会があって自己分析たるものをしているのですが、昔の自分を言語で表す過程で「この経験は記憶に残っているな」とか「この経験が自分を変えた」と、思わせるような経験がいくつかありました。そんな自分の経験を読者様と共有しつつ、自分の中でさらに「記録」に残していこうと思います。

 

今回は自分が小3のあたりに感じた「環境」について自分のエピソードを話しつつ今の自分にどう影響しているかを書いていきます。

 

小学生のころ私は習い事をたくさんさせてもらってて、スイミングやサッカー、マイナーなところでは華道や日本舞踊を習ってました。その習い事の一つにこれもまたマイナーですが「剣道」がありました。そうです。「ヤー!メーン!」っていうあの武道です。

 

私の所属していた剣道クラブの同級生は5人で、みんなで和気あいあいと剣道をしていました。

小1から剣道を始めて3年目の小3、私はそんな和気あいあいとした剣道クラブから違和感を感じました。

「俺以外の4人のお父さん全員剣道経験者じゃね?」

稽古の最後の方に先生と打ち合ったり、あるいは先生にかかっていく時間があります。彼ら4人は面をつけて(結構つけるのはやい)一番年長の先生に「お願いします!」と言いにいくかと思えば自分たちの親のほうにいくのです。

しかも親子で稽古しているときの親の熱の入りもすごい(これは自分がうらやんでいたからそう見えたのかもしれません)

このとき私は小学生ながら「あー、環境ってこんなに大事なんだなー。」と思ってしまいました。「なんかずるくなーい?稽古以外の時間でも教えてくれたり親のつながりのあるところでまたけいこできたりして―」なんてふうに。

 

でも、私は幸いなことにここであきらめるような自分ではありませんでした。

「親がそうじゃないなら俺は見取り稽古で盗んだろ!」

そのころから同級生のいいところを盗もうとしたり、クセを見抜こうと一生懸命に目を開いて小学生なりに頭を使いました。そして3年生のクラブチーム内の大会では優勝することができました。(ほぼ毎回延長戦で相手のパターンを見ていた気がする)

これは本人たちには言いませんでしたが「そこまで環境そろっててなんで負けんねん!」て内心では思ってました。

 

 

この「環境」という話は自分の剣道の話に限らずその他のスポーツ、勉強、もしかしたら世の中のすべてに関係してくることかもしれません。私がこの経験で得たのは幸いなことに(?)「環境が不利であっても努力でまかなえる」「自分の境遇を知って相手のこともたくさん見たので負けるはずがない」という風なポジティブなものでしたが、みんながみんなそうではないですよね

 

「努力は必ず実る」って言葉、わからんな。

 

また自分がどれだけ恵まれた環境にいるか気づかないのもそれはそれでダメ…ってほどではないけどなんかいけない気がするなって思います。(私もこんなに習い事させてもらって恵まれてたと気づくまで時間がかかった)

 

ン…着地点を見失ったぞ

 

まあとにかくこの経験が今の自分に「努力はしろ」ってことと「環境に甘えてはいけない」ってことを教えてくれてますね。あー親が剣道してなくてよかった。

 

皆様も「環境」を感じたことがあると思いますのでそこでどう思ったか久しぶりに思い返してみてはいかがでしょうか?

 

では、おやすみなさい。

インターンとバイトに身をささげ(2/24-3/1)

先週の高校の先生に感謝の気持ちをつづったブログからほぼ一週間がたちました。

 

tsukubaboyaki.hatenablog.com

 私の同級生で浪人をしていた子も、とりあえず大学に行けることを確定させました。彼も、上のブログに出てくる「友達」ではないけどY先生に指導を頂いていた一人で

「墓参りして飲みにいこう」とか言ってくれました。先生のことを忘れてなくてよかったし、彼の合格も喜ばしいことです。

人の話ばっかりでなくてそろそろ自分の一週間の振り返りをしていきましょう!

 

タイトルの通り!!私は!!インターンとバイトに心身を!!捧げています!!

 

 

私がバイトしているところは自転車屋さんなのですがこの時期はどうしてもね…繁忙期なので仕方ない

(実はかなりミスしてていつも社員さんやほかのスタッフに迷惑かけているのは内緒、ほんと毎回すみません)

 

インターンNPOにいってます。私はまだ大学一年生なのでそんな人生かけたインターンはしてません。

このNPOはスポーツ教室と学童をミックスさせたようなもので平日は基本的には学校帰りの子供たちの世話をしてます。スタッフだけで事足りることも多いので自分は低学年の子供たちと外に遊びに行ったりしているのですが、

エンドレス鬼ごっこ、何かにつけて私がずっと鬼になるように仕向ける

 

 

 ので、

 

 

おじさん疲れた…もうおうち帰りたいぃぃぃぃぃいいい

状態になってます。自分が小学生のときってこんなに動いていたのだろうか?

末恐ろしい、無尽蔵なスタミナ。感じる年齢差(されど私も19歳)

 

まあおかげさまで毎晩ぐっすり寝れますけどね!その辺はありがとう小学生!

 

またこのインターン、学んできたことを利用してよりよい社会を作るための方策を考えなきゃいけないのですが、絶賛どん詰まり中です。納期も近いのでそろそろ心身+睡眠時間を削らなければ…ァァ

 

何かあったことと言われたらそのくらいかな?あとは仙台旅行計画がつぶれたのと最近の筋トレの進捗とかだけど誰が聞きてえの?って感じなのでやめとこう。

 

また事実だけを淡々と述べるつまらんブログを更新することになるけど悪しからず。

 

では。

 

拝啓、高校時代に私を導いてくれた先生へ

令和二年度大学入試から一年、せっかくなら高校時代の恩師へ感謝の言葉を書こうということでパソコンと向き合っている。

 

 

 

しかし、残念ながら私の高校時代の恩師は絶対にこのブログを見ることはない。それはパソコンが嫌いとかではなくて、もうこの世にいないからである。

 

私の恩師「Y先生」は去年の2月中旬、世間がバレンタインで少しずつ盛り上がっていたころに職員室で倒れ、病院に搬送。一週間ほどの懸命の治療もかなわずそのまま息を引き取ってしまった。

 

Y先生は国語の教員で私たちの学年の副主任を務めていた。倒れるその瞬間まで文系国公立大学志望の同級生を教えていた。その子曰く、「目の前で自身の机に頭から倒れこんだ」らしい。

「Y先生が倒れたらしい」そんな噂を聞きながら学校の図書館で勉強していた私は「受験前は健康に注意しろって言ったのは先生なのにこのタイミングで倒れないでよ!早く復活して!」とまあ、事態を軽く見ていた。しかし、私の復活の願いもいよいよ叶わなかった。

 

「学校にいる生徒、自主登校している3年生も含めて全員体育館に集まりなさい」

一週間後、受験を間近に控え、ピりついた空気の図書室にアナウンスが流れた。当然みんなざわつく。

何かを察して泣き出す女の子、「そんなはずはない」と心に言い聞かせる私。体育館で放たれるかもしれない一言にみんな心の準備ができずにいた。

 

「Y先生が亡くなられました。」

 

一年生と二年生はY先生と交流がなかったため動じてなかったが、三年生は、ほとんど全員泣いていたと思う。例外なく私も。

 

 

死因や葬儀の予定を聞いた後に解散。図書館につく頃には私は少し落ち着いていた。

 

 

みんながまだ泣き止まない中、私はひとりペンをとり勉強を再開した。

 

「お前よくそんなことができるな」

 

いつも隣で勉強していた私の親友が悲しみと怒りを混ぜたような声でそう言った。

言い返すことなんてできない。ただ

 

「ここで合格を勝ち取ってくることができうる最大の恩返しじゃないの?」

と思い、ペンを止めることはしなかった。

 

 

 

「ここで止まってはいけない」

 

 

 

その年の合格者実績はかなり良かったらしい。特に国公立の人数は注目に値する数字だった。きっとこれはみんなが「合格が最大の恩返し」と思ったからであろう。

あいにくコロナのせいでちゃんとした合格報告はできてないしお墓の場所も聞けてないけど、いつか絶対に「合格報告」をしに行きます。

 

 

 

 

 

 

拝啓

Y先生、お久しぶりです、私です。この度は伝えきれなかった感謝を伝えようと思い、こういった形で文章を書かせていただいております。

 

まず、高校二年のときフラれて何かに没頭したいと思っていた私に

「あなた今から旧帝にいくつもりで勉強してみなさい。」と言ってくださってありがとうございました。当時岡山大学がギリギリかなというくらいの成績の自分を旧帝まではいかずとも筑波大学までのしあげたきっかけを与えてくれたのは間違いなくその一言です。

 

また忙しい時間を割いてまで私の模試分析を手伝ってくれたことも忘れません。

本当にありがとうございました。

 

相変わらず、大学になっても忘れものがひどいですが、そこは毎度の「あなたねぇ」で見逃してください。

 

入試から一年たった今でも先生が夢に登場したりします。夢の中でも先生は変わらず「丁寧、親身」に生徒一人ひとりに思いやりをもって接しています。

 

 

そんな自分にも夢ができました。私も「先生」になりたいです。正直教えるのはうまくないですが、文字通り「命を懸けて」私たちに勉強や様々なことを教えてくれた先生を見て、私もこうありたい!と強く思うようになりました。

 

まさか、夢まで与えてくれるなんて先生はいくら私にあげたら気が済むのでしょうか、とても受け取り切れない量をもらっている気がします。

 

でも、それをすべて受け取って私も未来の卵たちに与えていきたいと思います。だから最後まで私を見守ってください。

 

これからもよろしくお願いします。

 

2021/2/24 私よりY先生に向けて

敬具