拝啓、高校時代に私を導いてくれた先生へ

令和二年度大学入試から一年、せっかくなら高校時代の恩師へ感謝の言葉を書こうということでパソコンと向き合っている。

 

 

 

しかし、残念ながら私の高校時代の恩師は絶対にこのブログを見ることはない。それはパソコンが嫌いとかではなくて、もうこの世にいないからである。

 

私の恩師「Y先生」は去年の2月中旬、世間がバレンタインで少しずつ盛り上がっていたころに職員室で倒れ、病院に搬送。一週間ほどの懸命の治療もかなわずそのまま息を引き取ってしまった。

 

Y先生は国語の教員で私たちの学年の副主任を務めていた。倒れるその瞬間まで文系国公立大学志望の同級生を教えていた。その子曰く、「目の前で自身の机に頭から倒れこんだ」らしい。

「Y先生が倒れたらしい」そんな噂を聞きながら学校の図書館で勉強していた私は「受験前は健康に注意しろって言ったのは先生なのにこのタイミングで倒れないでよ!早く復活して!」とまあ、事態を軽く見ていた。しかし、私の復活の願いもいよいよ叶わなかった。

 

「学校にいる生徒、自主登校している3年生も含めて全員体育館に集まりなさい」

一週間後、受験を間近に控え、ピりついた空気の図書室にアナウンスが流れた。当然みんなざわつく。

何かを察して泣き出す女の子、「そんなはずはない」と心に言い聞かせる私。体育館で放たれるかもしれない一言にみんな心の準備ができずにいた。

 

「Y先生が亡くなられました。」

 

一年生と二年生はY先生と交流がなかったため動じてなかったが、三年生は、ほとんど全員泣いていたと思う。例外なく私も。

 

 

死因や葬儀の予定を聞いた後に解散。図書館につく頃には私は少し落ち着いていた。

 

 

みんながまだ泣き止まない中、私はひとりペンをとり勉強を再開した。

 

「お前よくそんなことができるな」

 

いつも隣で勉強していた私の親友が悲しみと怒りを混ぜたような声でそう言った。

言い返すことなんてできない。ただ

 

「ここで合格を勝ち取ってくることができうる最大の恩返しじゃないの?」

と思い、ペンを止めることはしなかった。

 

 

 

「ここで止まってはいけない」

 

 

 

その年の合格者実績はかなり良かったらしい。特に国公立の人数は注目に値する数字だった。きっとこれはみんなが「合格が最大の恩返し」と思ったからであろう。

あいにくコロナのせいでちゃんとした合格報告はできてないしお墓の場所も聞けてないけど、いつか絶対に「合格報告」をしに行きます。

 

 

 

 

 

 

拝啓

Y先生、お久しぶりです、私です。この度は伝えきれなかった感謝を伝えようと思い、こういった形で文章を書かせていただいております。

 

まず、高校二年のときフラれて何かに没頭したいと思っていた私に

「あなた今から旧帝にいくつもりで勉強してみなさい。」と言ってくださってありがとうございました。当時岡山大学がギリギリかなというくらいの成績の自分を旧帝まではいかずとも筑波大学までのしあげたきっかけを与えてくれたのは間違いなくその一言です。

 

また忙しい時間を割いてまで私の模試分析を手伝ってくれたことも忘れません。

本当にありがとうございました。

 

相変わらず、大学になっても忘れものがひどいですが、そこは毎度の「あなたねぇ」で見逃してください。

 

入試から一年たった今でも先生が夢に登場したりします。夢の中でも先生は変わらず「丁寧、親身」に生徒一人ひとりに思いやりをもって接しています。

 

 

そんな自分にも夢ができました。私も「先生」になりたいです。正直教えるのはうまくないですが、文字通り「命を懸けて」私たちに勉強や様々なことを教えてくれた先生を見て、私もこうありたい!と強く思うようになりました。

 

まさか、夢まで与えてくれるなんて先生はいくら私にあげたら気が済むのでしょうか、とても受け取り切れない量をもらっている気がします。

 

でも、それをすべて受け取って私も未来の卵たちに与えていきたいと思います。だから最後まで私を見守ってください。

 

これからもよろしくお願いします。

 

2021/2/24 私よりY先生に向けて

敬具